田村銀之助

安政3年(1856年)、誕生。磐城平藩出身。

田村銀之助は、69才まで生きた。その時代にとっては長生きした方なのではないか。

慶応3年(1867年)に兄の田村一郎・田村録四郎らと共に12歳で新選組に入隊し、隊士としてではなく、局長近藤勇や副長土方歳三附属の小姓として所属した。戊辰戦争が勃発すると、新選組に従い鳥羽・伏見・流山を経て会津へ渡るが、若年だったため戦闘(会津戦争など)には参加しなかったという。

旧幕府軍が仙台で榎本武揚艦隊と合流すると、共に蝦夷地へ渡った。箱館政権(蝦夷共和国)では、陸軍奉行並土方歳三に所属する榎本総裁附きの小姓となり、また陸軍隊隊長春日左衛門の養子となる。箱館戦争中も非戦闘員として扱われ、通訳の田島応親よりフランス語を学ぶ。明治2年(1869年)5月11日に土方歳三、12日に春日左衛門がそれぞれ戦死すると、総裁榎本武揚や陸軍奉行大鳥圭介らに本営五稜郭からの脱出を勧められるが、断固として拒否した。

その後は明治政府に出仕し、陸軍士官として西南戦争などに参戦、開拓使も勤めた。大正9年(1920年)に史談会に出席。戊辰戦争時の談話を残す。